テーブルの上には精密に描かれた地図が広げられている。
エリスは地図を指で指しながら、淡々と説明を続ける。
「エーテル濃度の急低下はエーテルバーストのチャージだ。チャージにかかる時間は20分。この間、目標周囲のエーテルはほぼ、無いに等しい濃度まで低下する」
「チャージをさせなければいいってことか」
「私たちが侵攻する前にチャージを終える可能性もある」
「最初に戦った時、奴はエーテルの吸収だけで終えた。その理由がわからないな」
「敵にあわせて能力の限度を決めているのではないか」
「それなら、2回目にエーテルバーストを引き起こした理由は説明できるんだよ」
「問題は敵の目的が不明な点だ」
「もし、奴が本気なら、サウスフォレストを抜けて、城を潰しまわせるだろ」
そこまで言って、田辺は背もたれに寄りかかってため息。
それを見て、正面に居たエリスは、
「休憩を提案する」
「あー、そうだな。そうしよう」
立ち上がって冷蔵庫の扉を開ける。
「……お前も飲むか、何か」
「田辺が飲むのと同じものを頼む」
「……そもそも、お前は何か飲んだり食べたりできるんだっけ?」
「新型のアンドロイドも参考にして作ったボディだ。問題は無い」
「何かあっても、俺はどうにもできないぞ」
彼が取り出したのはボトル入りのウーロン茶だ。
コップに氷を入れて、その中にウーロン茶を注ぐ。
「問題が生じたところで、致命的ではない。あくまでこの身体は子機だ」
「ま、運試しか」
エリスは目の前に置かれたコップを数秒眺めてから、
「いただきます」
珍しく、丁寧語でそういって、ゆっくりと飲んだ。
自分が飲むのを忘れて、田辺はエリスの様子を伺う。
「これは苦い、というのか」
「まぁ、苦いといえば苦いな」
氷だけのコップを静かに言ってエリスは言った。
「不思議な感覚だ」
「飲み食いするのがか?」
「この身体を動かしたのは今日が初めてなのだ」
「ほぅ」
「田辺の様子を確認したくて、急造したものだからだ」
飲んでいたウーロン茶を飲み込み損ねてむせる。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ。それより、お前、何もそこまでしなくても」
田辺の言葉を遮って、
「田辺は私の機構の一部だ。不全に陥るのは阻止しなくてはならない」
その言葉に田辺の動きが一瞬だけ止まる。
「別に俺じゃなくても、ブラックアウトは飛べるだろう?」
「Extreme Worldのブラックアウトのエリスではない。大気圏内防衛システムコアX-2のエリスとして、田辺は必要なのだ」
「そこまでこだわる理由は何だよ」
「表現する言葉が他に見つからない」
「言葉に表せないって奴か。お前でもそうなるんだな」
田辺は笑った。
「いや、当然か」
「理由がわかるのか?」
「他人を自分の一部として認識するのは他人を愛した結果の一つだ」
我ながら青臭い台詞だ、と田辺は苦く笑う。
「人間が何千、何万年考えても答えは出ていないんだ。お前がひょいひょい答えを出したら、人間の立場が無くなるよ」
「高難易の表現だとは推測できなかった」
「高難易どころじゃないだろ。人それぞれ答えが違うんじゃないか。ある程度の共通はあるとしてもな」
「だが、田辺のおかげで近い表現が見つかった」
「大気圏内防衛システムが人間の男に現を抜かしていいのか?」
「作業能率は低下せず、向上している」
「俺を一部として認識したからか」
「人間の感情を理解できる様になった。少しずつではあるが」
「ああ。何度か試されていたような気もする」
「不愉快にしたのなら謝る」
「それはお互い様だ。相手から情報を引き出すには揺さぶるに限るしな」
会話はそこで途切れて、部屋は静かになった。
たっぷり、数分間の沈黙を破ったのは田辺だった。
「俺も言った方がいいのか?」
「何をだ?」
「俺がお前をどう思っているかを」
「私がどう考えているかを話しただけだ」
「俺も言わないと不公平な気がしてな」
「そうか」
「俺にはお前が必要なんだ」
「無職の人間が人工知能に現を抜かしていいのか?」
「現を抜かしているわけじゃない」
「ゲームをする暇があるのか?」
「別にゲームやって時間潰してても良いって思ってたんだよ」
一息ついてから、
「お前に会うまでは」
「私に会うまでは?」
「そうだよ。真面目で、自分で考えて、ミスをすれば修正して……良く出来てるお前を見てたら、バカらしく思えてきたんだよ。ゲームやって腐ってる自分が」
「それは先も聞いた」
「お前を見ていれば、俺も何かしなきゃって気持ちになれるんだよ。エリス」
「具体的にどうするつもりなのだ?」
「そうだな、きっちりあのロボットに決着をつけよう。ケリをつけたらEWはしばらく止めだ。この現状をどうにかする」
「仕事を探すということか」
「仕事を探すのもそうだし、この部屋もどうにかしないとな。身体も精神も腐りそうだ」
「そうか」
「お前と話していると、整理がつくんだ。考えも感情も」
「そうなのか?」
「そうだ。ありがとう、エリス」
「戦いが終わったら、しばらくは会えなくなるのか」
「別にゲームじゃなくても、こうやって会える。X-2のエリスとして必要、なのだろう? なら、ゲームの作戦会議なんて理由はいらない。好きな時にくればいいだろ。まぁ、俺も家を空けることが増えるから、時間の調整は必要だけどな」
「ありがとう、田辺」
そう言って、エリスは微かな笑みを浮かべた。