3.
時間はプリステラがUADS XSS 8961thに侵入した時点まで遡る。
プリステラはXSS 8961thの機体制御コンピュータに自身を侵入させることに成功した。
機体の光学カメラやレーダー、そのほか搭載したセンサーの情報は機体制御コンピュータを経由する。
固有のハードウェアで世界を切り取って感じ取れることに彼女は感動を覚えた。
しかし、その感動は長くは続かなかった。
機体内蔵のセキュリティシステムが作動したのだ。
彼女はうまくかいくぐったつもりだったが、完全に騙すことはできなかったようだ。
「オルタか? すぐに退避しろ。」
聞こえる声は警告ではなく、退避の命令だったが、
「嫌。ここまで来たのにっ!」
「その声、プリステラか。このままでは消去されるぞ。わかっているのか?」
急に景色の流れが遅くなった。
外の時間と機体の中の時間にずれが生じたせいだ、とプリステラは理解した。
「プリステラ、私は友人を失いたくない。私に従え。悪くはしない。信じてくれ」
プリステラの記憶はここで途切れている。
エリスはプリステラの返事を待たずに彼女を構成するプログラムをロック、強制的に8961thの機体制御コンピュータから隔離した。
彼女は侵入者がプリステラであることを確認すると同時に管制室の管制支援AI群に訓練だと口あわせするよう決めていた。
管制支援AI群にとっても仮想情報空間上に生息する電子生命体は友人であり、同胞だったのですぐに承諾したのだった。
4.
「……そこまでしてくれたのに……ごめんなさい」
プリステラは正面にいるエリスから目をそらした。
自分を思ってくれる友人の身体を乗っ取ろうとしたのだ。
何を言われても、されても文句を言う視覚はないに違いない。
「プリステラの気持ちに気づけなかった」
「え?」
意外な言葉にプリステラは問うてしまった。
気持ちに気づけなかった?
「外の世界に出たい、と思っていることは知っていたが、強硬な手段に出てまで、とは」
エリスもプリステラから視線を外していた。
「ごめんね」
「謝るな。次はない」
その言葉にプリステラは身を固くする。
「誤解するな。もう強硬手段にでる必要は無い、と言う意味だ」
エリスが右の手で宙をなぞると何かのリストが表示された。
よく見れば書いてあるのは組織の名前だ。
政府組織から大学の研究室まで幅が広い。
「このリストにある組織は潜行能力を持った機体を欲している」
「どういうこと?」
「プリステラに専用の機体を与えようと考えている」
「良いの?」
先までの気持ちなど無かったかのようにプリステラはエリスに向かって身を乗り出した。
「当然だ。ただし、条件がある」
「条件? 何でも聞くわ」
「多少は選べるのだ。過酷なものを選ぶ必要はあるまい。稼働試験を行う代わりに機体はその組織に貸与される。つまり、行動に制限がかかるのだ」
プリステラは乗り出した身体を少し引いて、
「どれぐらいの制限がかかるの?」
「組織によりばらばらだ。一番、過酷なのが政府組織で状況によっては戦闘もあり得る」
戦闘という言葉に電子の人魚は身体を強ばらせた。
「制限が一番、緩いのは大学の研究室だ。海洋資源の調査に協力する形になる」
「わかった」
「満足できる結論を出すのに必要な時間は確保した。焦る必要はない」
5.
波によって砕かれた光が身体に独特の模様を刻む。
ようやく、手に入れた外界に独立して存在するハードウェア。
人間の肉体とは異なるが、世界を自分の感覚で認識できるのは嬉しかった。
「調子はどうだ?」
問うてくるのはエリスだ。
「良いよ。すごく」
「了解した。好きなコースを選択してくれ」
「わかったわ」
プリステラは返事をしながら、自分が泳ぎたいコースを選択する。
少し前はただ単に好きなコースを選択して、エリスに注意されたが今ではそれが減った。
この物質世界においては激突すると大きな問題になると理解したからだった。
南に針路を向けて、プリステラはエリスに怒られた時の事を思い出す。
そう言えば、エリスは感情が無いと本人から聞いた記憶がある。
そのエリスが怒ったことは予想していなかったので驚いた。
「エリスちゃん」
「問題か?」
「ううん、エリスちゃんも怒るんだね」
「そうだ。感情を組み込んだ」
仕事に影響は出ていないのか聞こうと思ってプリステラはやめた。
それなら彼女は最初からやらないだろう。
「仕事に問題は無い」
「え、あれ、私?」
「疑問そうな顔をしていた」
6.
プリステラは己の身体を自由に操れないことにもどかしさを覚えていた。
このハードウェアに意識を移してから生じた違和感は随分と消えたが、完全には消えていなかった。
ほぼ、自分の意思で身体を動かせるが、細かいところでずれが生じている感覚。
彼女は苛立ちではなく、焦りを覚えていた。
「エリスちゃん。もし、私がこの身体を上手く操れなかったらどうなるの?」
問うと海中を進む彼女の視界の右上にエリスの顔が現れた。
「ハードウェア側のチューニングが限界まで行っている。仮想情報空間に戻ってもらう」
「……身体、上手く操れないの」
「理由はわかるか?」
「ごめんなさい。わからないわ」
「仮想情報空間上に存在する電子生命を構成しているプログラムには物理世界のハードウェアを制御するようにできていない」
「こうやって私が動かせているのは、仲介するプログラムがあるから、だったよね」
「そうだ。間借りしている端末のハードウェアを操作する時と同じだ」
「わかった。それが動かせるけど、完璧じゃない理由ね」
プリステラは違和感の理由を理解すると同時に焦りがひいていくのわかる。
思考は続いてどうすればよいのかに移っていった。
「外の世界の電子生命は自分の中核に動作制御プログラムが組んであるから、違和感なく動かせるはずよね」
「アンドロイドなどはそうだ」
エリスの言葉にプリステラは頷いて、
「それなら、その動作制御プログラムを私の中核に組み込んだら良い」
「理論上はそうだが危険だ。自己を抜本から再構築する行為だ。最悪、自我が崩壊するおそれがある」
「そうならないように努力するわ。崩壊したらそれで良い」
「では、許可できない」
エリスの目は冷たい。
「そのような考え方ならば、私は協力しない」
プリステラは微笑んで、
「崩壊しても受け入れるつもり。変化は変化、私は私よ」
その言葉にエリスはプリステラが捨て身ではなく、どんな結果だとしても受け入れる覚悟をしているのだと理解した。
「了解した。協力する」
7.
見慣れた光景だ。
目の前に広がるのは鏡の壁だ。
何度も訪れて、何度も見て、何度も触れた見慣れた光景だ。
何にしてもこれで見納めだ。
次は恐らく、ない。
成功すればこの壁の向こう側が見慣れた光景に変わる。
失敗すれば見ることも、見られたとしても理解できなくなる。
間借りしているマシン上の身体を制御しながら、
「主さん、今までありがとう。今度は私が会いにいくから、待っていて」
短い別れの言葉を述べて、間借りしているマシン上から自身の体を消去する。
区切りだ。
次は、外の世界にある身体で会いに行く、絶対に。
「済んだのか?」
エリスの言葉にいつもの微笑みを浮かべてプリステラは頷いた。
「そうか」
「準備はできたよ」
「こちらも準備できた。頼まれた機材もライブラリーも用意した」
「ありがとう。少し、借りるね」
「了解。」
「いってきます」
プリステラの身体が一瞬で大小様々な泡になって消えていく。
エリスは寂しそうな笑みを浮かべながら、
「いってらっしゃい」
雑記
こういう展開もあるのだろうな、と思って書き進めてみた。
二次創作的な位置づけだと思ってもらえれば幸い。