wired raven

文字通りの日記。主に思ったことやガジェットについて

With U

1

人間が概念的な存在だとわかったのはここ100年のことだ。 精神のありようで姿かたちが決まる。 意識的に自分を作ろうとしなければ、自分の身体が変わってしまう。 それがわかった最初の頃は大小さまざまな事件や混乱が起きたと歴史で習った。 人間から化け物になって、大量殺戮を行ったこともある。 対処の仕方が確立していくにつれて、そういったトラブルは減って、最近ではほとんど聞かなくなった。 それでも小さなトラブルはたまに起こっている。 髪の毛が伸びていたとか、禿げてたとか、腕が増えてたとか。 それも治療すれば治るものが大半で、笑い話で済んでしまう。 ただ、我が身に起こっているこれはなんだろうか。 鏡の前で顔を見る。 昨日とは全く違う顔の、身体の人間が立っている。 呆然としている表情は今の自分の心情をよく表している。 腕を動かせば、鏡の中の人間も腕を動かす。 しかし、どう見ても別人だ。 性別すら違う。 ここまで劇的な変化をしているのにもかかわらず、急速に自分がこの体になじんでいるのがわかる。 身体が変化すれば違和感を覚えるのが普通だ。 意識が拒絶して体を元に戻そうとする。 驚いた瞬間に増えていた腕が引っ込んだ、なんて事例もある。 違和感や拒否感は元に戻るのに重要なのだ。 驚きはしたが今の自分にはそれがない。 こういう身体でもおかしくない、むしろ、自然だとすら思い始めている。 そのまま、鏡の前で崩れ落ちる。 落ちるというか、もはや、落ちてみると表現したほうがよい。 「病院、いくか、一応」 そういった自分の声はとても高く、澄んでいた。 人に見せても問題なさそうな恰好になる服を探す。 体形が変わったせいで切れない服が多い。 何とか、着れそうな服を見つけて病院へ。 医者のアンサーは様子見であった。 違和感があれば、治療の可能性も見えてくるが、この状況では難しいとのことだった。 新しい身体を楽しむのも悪くはないですよ、といった医者先生の額には第三の目があった。 目が増えるのも相当だと思う。 でも、だ。 性別が変わるのは、それも血のつながりとか一切感じさせない別の身体になっている。 それをエンジョイしてみては、と言われても困る。 可愛い服が着られるやったー、とでも喜べばいいのかどうか。

どうであれ、生活していく必要がある。 まずは服を調達すべきだ。 こんな厄介な状況でも対応してくれるのは百貨店のよく訓練された店員だろう。 その期待に店員は、店は全力でこたえてくれた。 結果的に下着含めた大量の服を買うことになってしまった。 しかも、しまうところがないぐらいに。 説明は一通り受けたはずなのに着方を覚えていない。 何がどうなっているんだ、これ。 仕方ないので動画サイトを検索して、動画を見ながら着替える。 ここにきて屈辱的だな、と思ったのだが、それは服の着方すらわからないことに対してであって、この身体に対してではなかった。 鏡の前でおかしなところがないか、ゆっくりとまわりながら確かめる。 問題ないとわかった時の表情は笑顔であった。 ああ、もう、どうにでもなれ。

2

どうにでもなれ、と思ったけど、どうにかなるとは思っていなかった。 病院と役所と百貨店を行ったり来た甲斐もあって、生活が足元から崩れるような事態は避けられそうだった。 役所の手続きが一番難儀だと覚悟していたけど、これは思っていたよりも楽に終わってしまった。 なんでも顔が変わってしまう人は多いのだとかで、その手続きの応用らしい。 意外だったのが会社の同僚たちの反応で、驚きも何もなくすんなり受け入れてくれた。 仕草でわかるから違和感ないそうだ。 いや、驚いてくれて構わないんだけど。 むしろ、驚いてくれたほうが治療に役立つのだけど。 身体が変わったことにあっという間になれたように、周囲の人も変化をあっさりと受け入れた。 どうも、僕の日常は思ったよりも頑丈で粘り強いようだった。 生活が確立したから次は問題の原因探しに入りたい。 変身願望はとくにはなかったし、今までの生活が不満かといえば、そういうわけでもない。 それは、非の打ち所がないものか、と不満はある。 社食が微妙だとか、満員電車の通勤が嫌だとか、スマホの電池がもたなくなってきたとか。 ほかにも探せばいろいろ出てくる。 でも、それは流せたり、少し背伸びすれば解決できるような、小さな問題だ。 それが姿かたちをごっそり変える理由になるとは考えにくい。 理由がそれで成り立つなら、電車の中は今頃、化け物だらけになっているだろう。 思いついた原因を手帳に書きだす。 その横に否定する理由も一緒に増えていく。 しばらくやってお手上げだと思った。 床に寝ころぼうとして、やめる。 起き上がるときに伸びた髪を巻き込んで痛い思いをしたから。 世の人たちはどうやって防いでいるのだろう? 原因は思いつかないまま、数日が経った。 どうしようか、と悩んで結局、一番似合うと思った新しい服に着替えて、友人との待ち合わせ場所に向かった。 こんなことになっていると伝えたら、そんなこともあるさ、と軽く流されてしまったのだけど。 そんな彼なので驚きはしないに違いない。 実際に会ってみると、 「身体の調子はどうなんだ?」 とこちらの身を案じてはくれた。 大丈夫だと伝えると早く治るといいな、と一言。 「あのさ」 どうして、ここで一言置いたのだろう、と自分でも疑問には感じつつ、 「この前、いけなかったケーキ屋いこうよ」 「あの、女の子が多くては入れなかった店か」 すぐに思い出してくれた。 二人で遊んでいるときにその店を見つけたのだけど、店内を覗くと女の子が圧倒的に多く、男二人で入るのには抵抗が、とあきらめてしまった。 いまならいけるだろう、と。 「いまならカップルに見えないこともない、か?」 「見えると思う」 「それなら、もう少し気合い入れた格好にしてきたのに。これじゃ」 「これじゃ?」 「バランス悪いだろう」 「清潔感はあるから合格だって」 「ならいいか」 頬をぽりぽりとかきながら彼はいう。 そのしぐさにドキッとしている自分に気が付いて、内心でわー、と叫んだ。 そして、原因がわかった。 こいつだ。 前に一緒にバーで飲んだ時、話や仕草が自分よりずっと、大人で見とれていたの思い出した。 同性相手にときめいたりするのだな、と冷静に思っていたつもりだった。 顕在意識とは別に深層意識は全く、別のことを考えていたのだ。 「どうした?」 顔をあげると、心配そうな表情の彼の顔が見えた。 「い、いや、大丈夫」 「カロリーでも気にしてるのか?」 「今日は気にないで楽しむつもり」 「普段は気にしているのか。健康志向、大いに結構だ」 気を使わせてしまった。 「ケーキ屋は逃げないが、ケーキはなくなるからな。いこう」 十分ほど並んで件の店には入れた。 案内された席に座る。 向かい合って座りながら、メニューを選ぶのは何度か経験があるのに今日はドキドキしている。 自分の性別が行方不明になっているのを感じてメニューを持ち上げて顔を隠す。 見せられない、見せられない、見せられない。 「決まったか?」 「ま、まだ。目移りしちゃって」 「俺もだ」 気づかれてない。 たぶん。 「チョコレートケーキもいいがモンブランも捨てがたい」 「そうだね、栗の季節だよね」 しゃべり方がおかしい。 意識すればするほど、余計に悪くなっている。 気づかれてる。 たぶん。 どうしよう。 ちらっと、メニューごしに彼を見る。 頬杖をつきながらメニューを眺めている。 暇そうにもとれるが目は真剣だった。 彼が甘いものも好きなのはよく知っている。 なぜかきゅんとした自分がいる。 どうしよう、というか、どうした、というか、どうなっているんだ。 「モンブランにしよう、かな」 「せっかくだから、俺もそうしよう」 そういって彼は横を通っていた店員さんを捕まえる。 「こちらのセットもお得ですよ」 と店員さんはカップル向けのセットを案内してくれた。 顔から火が出るだとか、ぼんと音をたてるとか今の自分のためにあるのだろう。 店員さんはにこにこしている。 彼は涼しい顔のまま、 「二人なら食べきれるだろう。ダメなら頑張るから――これを」 「お飲み物はいかがなさいますか?」 「アイスコーヒーを1つ」 「もう一つお願いします」 注文を終えてから、 「カップルじゃないのに頼んでよかったのかな」 「ダメだったらすすめてこないよ」 と彼。 この度胸があればなぁ。 「変じゃなかったかな」 「何が?」 自分を指さすと彼は、変なところなんてないよ、と笑った。 「でも、意識しすぎだとは思う」 胸をなでおろした瞬間に刺された。 「その、なんだ。場の空気に流されるなよ」 そういって彼は窓のほうを見る。 頬が少し赤い気がする。 「頬、赤いよ」 「気のせいだろう、たぶん」 友よ、お前もか。 「少し、うれしい」 「なんでだよ」 「気合い入れてお洒落した甲斐があるなって」 何かとんでもないことを言った気が。 妙な沈黙が訪れた。 なんていえばいいのだろう? むず痒い? タイミングよく先の店員さんがモンブランを運んできてくれた。 モンブランを一口食べ、コーヒーを一口んでから、 「お洒落って大変か?」 「それなりに。でも、甲斐はある」 なるほど、気が付かないと怒られるわけだとも。 「しかし、どうやって調べたんだ?」 「ネットで動画見たり、ファッション系のサイト見て、あとは練習」 「そうか。努力家だなあ」 「肌が荒れるとかもなかったし、運がよかったよ」 モンブランの栗をつつきながら、 「君とじゃなかったら、こういうことできなかったし」 彼は静かグラスの水を飲みほした。 「今日、どうした、本当に」 「自分でもわからないんだ。ただ、綺麗な姿を見てほしくて頑張ったのは本当で」 「こういっては何だけど、恋する乙女じゃないか」 「……そうかも」 今まで意識させなかったものが、壁を作っていた要素がなくなったのだから。 そう考えると今の自分の変化はよくわかるものだ。 「まぁ、お前なら、歓迎だけど」 頬をかきながら彼はいう。 「お前なら歓迎ってなんだよ」 「付き合いが長い。多少のことなら受け止められるし、応えられる」 「まるでこっちが投げるばかりの人間のように言うね」 「重たくはないだろ、重たくは」 「僕だって、受け止められるし、応えられる自信がある……なんか、告白みたいだね」 「みたい、ではなくて、そのものだろう。まわりが気にして静かになっている」 彼の言葉に周りを見た。 視線に気が付いて、みな動き出した。 「うわぁ……」 ここのところ、ずっと、うわぁ、と言っている。 「ずっと、好きだったんだよ。ようやく、素直に言えるようになった」 「その言葉はうれしい。でも、それを認めたら、戻れなくなるんじゃないか?」 「かもしれない。でも、ここは素直になろうと思う」 「変なところで大胆だよな」 「返事は?」 彼は苦笑してから、真顔になって、 「受けて立つ」 「なんだよ、それ」 肯定なのはわかるけど、それはいくら何でもあんまりじゃあないかな。