wired raven

文字通りの日記。主に思ったことやガジェットについて

常に誰でも入れるコミュニティ

「常に誰でも」と「コミュニティ」という言葉に矛盾を感じる。

コミュニティー 【community】
(1)人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域,およびその人々の集団。地域社会。共同体。
(2)転じて,インターネット上で,共通の関心をもちメッセージのやりとりを行う人々の集まり。
(3)アメリカの社会学マッキーバー(R. M. MacIver)が定式化した社会類型の一。血縁・地縁など自然的結合により共同生活を営む社会集団。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=community&kind=jn&mode=1&wl=1

goo辞書だとこうなっている。
共通の関心が無ければ、そのコミュニティには所属できない。
「常に誰でも」を文字通りに解釈すると、コミュティと矛盾するわけだ。

どうすれば誰でも入れるようになるか

インターネット上のコミュニティの場合、毎年3月に人が抜けて、毎年4月に補充されると言った入れ替わりがない。
このため、参加者が固定化されて新規の人間が入りにくくなることがある。
いかに新規の人間が入りやすくなるか、と言うのはバランスが難しいだろう。
ルールとして厳密に規定すれば、居づらくなくなる可能性も高い。

  • ルールがあるならもれなく明文化する。(管理者)
  • 公の場と意識して内容をある程度は配慮すること。(利用者)

個々の心がけ

新規の人間にその場を説明したり、慣れるまでの配慮をしたり、コミュニティのルールがあるならそれに従い、何か問題があるならば、それを指摘する。
そのコミュニティを活かすも殺すも自分次第、と言う意識が必要なのではないだろうか、と思う。