一の位を切り捨てれば二十歳だ論法が通じなくなった。
実感らしい実感はわかないが、祝ってくれる人々が変わりつつある。
10代や20代前半の誕生日は何かとできることが増えたり、環境が変化するものだけど、それを過ぎるとまた、来たな、と思うぐらいだった。
特に二度と祝ってもらえない人がちらほら出てきているのが、自分が年を重ねている証だと感じる。
分の繋がりのある人たちが亡くなることを雨の降りだしに例える人がいた。今はその降り始めの、最初の数滴を見ているのだろう。本降りにならなければよいな、と思うが避けては通れない。それも自分が雨粒になるかもしれない。できれば遅いほうがよいのだが、はてさて、どうなるやら。