wired raven

文字通りの日記。主に思ったことやガジェットについて

遺し伝えるモノ

巡回先のブログ経由で、父親が亡くなったという人のブログを読んだ。
安らかに亡くなったそうなので、良かったのではないだろうか。
語弊のある表現だが、苦しみもがいた先に死ぬよりはずっと良いと思う。


心よりお悔やみ申し上げると共にご冥福をお祈り申し上げます。


自分が肉親を失ったことは幸いなことにまだ無い。
母親が父親、自分から見れば祖父を亡くした時は相当に落ち込んでいた。
直後は不安定なところがあったが、今はいつも通りのように見える。
本人が大丈夫だと言っていることを信じるしか無いが。


他人が肉親の死を嘆き落ち込んでいるのを見ると何故、立ち止まってしまうのだろう、と疑問に思うが、自分が問われる立場になるとそう思えない。
恐らく、自分も肉親を亡くせばそれ相応に衝撃を受け、それ相応に落ち込み、それ相応に停滞してしまうだろう。
ただ、その問いはやっぱり、自分にも向けるだろうし、問いには前進と言う行動で答えたい。


肉親、特に両親の場合は特にそうだ。
身体的にも精神的にもその親から遺伝子を受け継いでいる。
科学的に見て遺伝子は後世に伝えるためのものだ。
それを受け継ぐ子供は遺されたことを伝える者であるし、次の世代に残し伝える者だ。
それが立ち止まってどうするだろうか。
立ち止まるというのは存在する理由を否定するに等しいと思う。
だから、前に進むという姿勢で答えたい。


と書いているうちに自分の答えが出てきたわけだが、絶対的な別れである死と対面した時に実行に移せるだろうか?
そんなに脆弱なものでないと信じたいものだ。