書くことは伝えること
対象が誰であれ、書いて残して誰かに伝える行為だと思う。
例外もあるだろうけど、基本的にはそういうものだ。
普段やり取りしているのは記号である
言葉も文字も記号であって、意味そのものではない。
送り手が意味を言葉に変換し、何かしらの経路を通って受け手に伝わり、受け手が意味解釈を行う。
仕組み上はこう考えられる。齟齬が発生するのも当然で相互理解するのは難しいと思う。
同じような意味解釈を行わせるものは何か
先の考えから言えば、みんな勝手に解釈を行い、てんでバラバラの方向を向きかねないのだけど、実際はそうはならない。
齟齬や衝突があるにしても、まあまあ何とかなっている。そうでなければ書くことも話すことも成立しないだろう。
同じような意味解釈を行わせるものは、おそらく常識の類だ。周囲の人間から学び、引き継ぐ。人間という共通のハードウェアを持っているから、ある程度は収斂するのではないか、とも思っている。
前提条件が云々
伝えるにあたっては前提条件や知識を揃える必要がある。
狭い土地を猫の額のような土地と表現して伝わるのは、受け手が同じ意味解釈をするのは、それが猫を知っていたり、そういう比喩表現を知っているから。
相手が何を知っていて、何を知らないのか。知らない場合はどうするかは考えるに値すると思う。そのあたり、揃える気もなく、話すのなら壁にでも話していればいいだろう。