クレードルが語るには(3)
「ことの始まりはモラルの低下だったと言われている」
「モラルの低下?」
「簡単に言えば、お行儀が悪くなったのだ」
クレードルの言葉に少女は背筋を伸ばして、
「しゃきーん」
「そう背を伸ばさなくても良い。疲れるだろう」
「だらーん」
「君は両極端だ」
苦笑まじりにクレードル。
「ところで、行儀を良くしないといけない理由は知っているだろうか」
「うーん……怖い人に怒られるから」
「それも理由の一つではあるか」
少女は首を傾げて、
「う?」
その姿勢のまま、
「まだ、あるの?」
「うむ」
クレードルの言葉に少女は再び、考え始める。
「ヒントは必要か?」
「いらないっ! 一人で考えるの!」
少女の中の何かを刺激したらしい、とクレードルは静かにする。
「あ」
何かひらめいたらしい。
「誰かの嫌いなことだから?」
「そうだ」
「わーい」
少女は両の手をあげて喜んだ。
「自分の嫌なことは、おそらく相手も嫌なこと。そう相手のことを考えて行動するのも人間だ」
「うー」
あげていた両の手で、今度は頭を抱えて少女はうなった。
「難しかったか」
こくこくっと頷く少女にクレードルも頭を悩ませる。
彼(実は彼女かもしれない)が考えていると、
「うー」
再び少女はうなって、
「みんなで仲良くしなくなったってこと?」
クレードルが予想しなかった答えを少女は出した。
「そうだ」
「わーい、ほめてほめてっ!」
「良く出来た。素晴らしい」
「もっとー」
「何度も言ったら、嬉しくなくなるから一回だけだ」
「けちー」
「話を続ける。君の言ったことは間違えてはいない。ただ、実際はもっと悪かった」
「にゃ?」
「他人を認識できなくなったのだ」
「他の人がわからなくなっちゃってこと?」
「そこにいるのかさえ、わからなくなった、ということだ」
「横に座ってても?」
「そうだ」
クレードルの言葉に少女は表情を暗くして、
「目の前にいても?」
「そうだ」
さらに暗くして、
「一緒に何かしないの?」
「何もできないのだ。わからないから」
今にも泣き出しそうな顔で、
「そんなの寂しいよ」
「そう、それは寂しいことだ。その寂しいすらわからないのだ」
泣きはしないが少女はうつむいて、沈黙した。
「君にはまだ、早かったかもしれない。この話は」
「お話は?」
「続きが聞きたいのか」
「気になるもん」
「これから先はもっと、難しくなる。それでも聞きたいか」
「うん」
「極力、君にもわかるように説明する。難しかったら言って欲しい」
「極力ってなぁに?」
「出来る限り。もっと、簡単に言えば、頑張って、だ」
「わかった。ゆりちゃんすごーい」
「もっと、褒めたまえ」
「何度も褒めないもーん」
「そうか」
「ねぇ、続きー」
「はいはい。順を追って説明しなおそう」
その前に、とクレードルは前置き。
「アイスが解けている」
「にゃふんっ」
「残すのは許さん。きれいに食べるのだ」
「うぅー」
先とは違う意味で少女は涙目になって、ストローに口を付けた。
「最初はみんなの行儀が悪くなった。それも世界中で」
一見、クリームソーダを飲むのに夢中になっているようだが、クレードルの言葉には耳を向けているようだ。
「このときは、まだ、他人のことがわかるから、多くの人がおかしいと気がついた」
「みんな、お行儀が悪くなったら変だよね」
「それは君の行儀が良いからだ。もし、みんな悪くなったら、悪いのが普通になる」
「えー、そんなのおかしいよ」
「ここはそう言うものだと思ってくれまいか」
「仕方ないなぁ、もう」
「ありがとう。おかしいと気がついた人たちは理由を調べ始めた」
「あ、サクランボおいしい」
「ちなみに種のないサクランボだ。世界中の偉い人たちがどんなに頑張って調べても、理由はわからなかった」
「ダメじゃん」
クレードルは苦笑するが、声には出さない。
「それでもわかったことが2つあった。1つ目はこの病気はどんどん重くなっていくこと。2つ目は最後に他人がわからなくなること」
「やっぱり、怖い。寂しい」
「問題はそれだけではない。人は誰かと一緒でなければ生きていけない」
「死んじゃう?」
「それも世界中の人たちの命が危なかった。だから、世界中のまだ、病気の軽い人たちが私を創った」
「ゆりちゃんを?」
「そうだ。そして、この施設で眠ることにした」
「どんな夢を見てるのかな?」
「自分たちの、それぞれの世界の夢だ」
「ふぇ? 私のお父さんやお母さんも、夢?」
「夢だが、嘘ではない。君は君のお父さんとお母さん。多くの友達に囲まれて育ってきた。良く、覚えているだろう」
こくっと少女は頷く。
「うん」
少し間を空けてから、ぽつんと、
「もう、会えないの?」
「会いたいのか」
「……うん」
「やはり、君にはまだ、早かったようだ」
クレードルは少女をゆりかごに戻そうと考えていた。
いくら何でも彼女は幼すぎる。
「ううん、違うの。いってきますって言ってないもん」
「わかった。君を、君の世界に案内しよう。目を閉じたまえ」